風水は古代中国が発祥の理論です。
<「気」の流れを基本に考えた環境学>と言われています。
起源は、都市・住居などのあらゆる場所を設定・構築する際に考慮された原則です。
<あらゆる場所・環境には「気」の流れがあり、その影響で位置により吉凶禍福がある>
という考え方が基礎にあります。
風水の起源は、紀元前の中国での「陽宅」と「陰宅」の区別といわれます。
陽宅とは、生きている人物の住居です。
対して、隠宅とは死者の住居です。
古代中国では<陽宅と隠宅の確実な区別>を良いとしました。
これが風水の起源と伝承されています。
のちにこの思想が発展し、陽宅は家相、隠宅は墓相とされました。
現在の中国では、風水は墓相の上で最も重視されるとも言われています。
風水は紀元前の発祥から長い期間をかけて、中国全土やがては世界に広まりました。
その過程で枝葉のように諸説も派生し、各地で呼び名も多様にありました。
「風水」という名前も、発祥は中国の唐(とう)王朝の時代とも言われます。
それまでは各種、多様な呼び名があったようです。
「堪輿」「家相」「墓相」等々です。
「堪輿」は「かんよ」と読み、<天と地>の意味です。
「風水」という名前の発祥は、中国・唐(とう)の時代の「葬書」(そうしょ)という書物です。
その一節に、こんな文章があります。
「気は風に乗れば則ち散り、水に界せば則ち止る。~(中略)~ゆえに、これを風水という」
「則ち」は「すなわち」で、<つまり>の意味です。
この文章は、風水の学説や占いについてではないそうです。
単に自然界の風や水、あるいはその概念についてでした。
ですが、この文章が広まって以来、なぜか「風水」という名前ができて広まりました。
それまでは「堪輿」「家相」などと呼ばれていた環境学・占い理論などが、
まとめて「風水」と呼ばれるようになりました。
このような過程もあり、現在は名前は同じ「風水」も世界各地で内容の相違があります。
日本でよく言われるのが「日本に伝来の風水は中国のものと異なる部分が多い」です。
その最も大きな要因が、気候・風土の相違です。
日本の気候・風土は、中国と全く異なります。
また、伝統的な文化の相違も大きな要因です。
そして、もう一つの要因が日本の江戸時代の鎖国政策です。
中国から伝来の風水の考え方は、江戸時代に「家相」という名前で広まっていました。
ですが、当時の日本は鎖国政策の下にありました。
鎖国政策の最中も中国とオランダだけは例外、貿易の相手国とされましたが、
それでも海外の文化が直接、日本国内で広まりはしませんでした。
鎖国政策時代の日本では、海外の文化を日本流に直したものが流行しました。
こうした各種の要因により、日本の風水は中国とは大部分が異なる内容になりました。